靖國神社いったよ
通学の乗換駅で東京メトロの定期を購入〜。
東西線に乗って、行きついた先は早稲田駅ではありません。
ド━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ン!!!!
九段下です。1番出口を出てまっすぐ歩くと、そこは靖國神社です。
靖國神社は、昔は産業奨励会館と呼ばれ(←これは原爆ドーム!)
正しくは東京招魂社です、ハイ。詳細は神社のサイトにお任せします(丸投げ)
靖國神社に来るのは、今年2度目です。
余談ですが靖國神社の「靖」の字は「しずめる」という意味だそうですφ(。。
北の丸公園近くの入り口から入り、大鳥居をくぐっていきました。
逆光で暗いです(´Д`;)
東西線に乗って、行きついた先は早稲田駅ではありません。
ド━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ン!!!!
九段下です。1番出口を出てまっすぐ歩くと、そこは靖國神社です。
靖國神社は、昔は
正しくは東京招魂社です、ハイ。詳細は神社のサイトにお任せします(丸投げ)
靖國神社に来るのは、今年2度目です。
余談ですが靖國神社の「靖」の字は「しずめる」という意味だそうですφ(。。
北の丸公園近くの入り口から入り、大鳥居をくぐっていきました。
逆光で暗いです(´Д`;)
まっすぐ行きますと、大村益次郎さんがいらっしゃいます。
逆光で何も見えませぬw
更にまっすぐ歩くと、屋台やら骨董市をやっていました。
もっとまっすぐ行くと、拝殿ですね。↓コレ
で、本日のお目当ては何かと言いますと、遊就館です。
拝殿からむかって右側にあります。売店や、喫茶店のあるところはタダで入れます。
入館料は学生500円、特設の日露戦争100年展は300円です。
日露のほうは今日は見ませんでした。
館内は明治維新から始まって、大東亜戦争(第二次世界大戦)までの展示がされています。
最後に、戦没者の御遺影が「靖國の神々」としてずらっと展示されています。
正直言って、日露戦争までは流す程度にしか見ていなかったりします。
恥ずかしい事に、中学の歴史はすっかり忘れ、高校は辞めてしまっている為
授業を受けた事がなく、大検では範囲を絞って飛び飛びでしか勉強をしていないので
日本史が全くわからないのです。展示を見ても全くピンとこない。
自分の無知具合にがっくりしました。
5年前にやった「日清焼きそば焼くよ(日清戦争1894年)」という暗記の無意味さがよくわかります。
この館の中で、もっとも長い展示はやはり大東亜戦争。
時系列毎に日本の状況が追えます。
「奇襲攻撃成功セリ(トラ・トラ・トラ)」の電報の現物が置いてありました。
ニイタカヤマノボレのほうも展示してあります。
あとは、東京裁判のパール判事の日本無罪論ですかね。
広島高裁での講演の言葉が展示されています。
こちらのサイトの「東京裁判判決にむける言葉」です。
日本史嫌いの自分ですから、知っている知識と言えば
12/8真珠湾→8月原爆広島・長崎→8/15終戦くらいなもんで、、
展示を見ながら、歴史に「〜すべきだったのに」はありえないと思いながらも、
厳しい条件だけどハル・ノートを受諾していれば…とか
ポツダム宣言を早々に受諾していれば原爆は免れたのになどと思ってしまいました。
最後の展示の御遺影には出身地と亡くなった場所、亡くなった日が書かれているのですが
昭和20年の7月に亡くなっている方が結構いて、「あと1ヶ月もてば生きていられたかもしれない」
と、更に悔やんでも仕方ない事を考えてみたり。
その1ヶ月持ちこたえるのが、当時の状況では大変だったのだとは思いますが…。
終戦後も法務死(戦犯として処刑)された方もいるので、戦争が終わったからと言って
直ちに犠牲になる方が減ったわけでもないですね。。(´・ω・`)
御国のためにと亡くなって行った方々なわけですから
「ああすれば」「こうすれば」なんて言う前に、感謝をしなければいけないですね。
御遺影展示の最後の場所に、記帳用のノートが置いてあります。
過去の記帳の抜粋も、いくつか展示されています。
「ひこうきがいっぱいでこわかった」と書いている小学生や、
「最近、父が祀られている事を知った。毎年参ります」という方などなど。
そう言えば、来館者の中で戦争経験者の方がいました。
展示を見ながら、家族に「やぁ、見ると思い出すねえ」「この人は知っている」
などと喋っていました。台湾まで行くのに、船で七日くらいかかったとも言ってました。
最後に、人間魚雷「回天」が展示してありました。
零戦などもありましたが、なによりインパクトが強かったのがコレ。
あまり天井が高くなく、見た目は本当に魚雷です。
(とは言っても、本物の魚雷は見たことないですけどw)
この狭い魚雷の中に入って、特攻しろなんていわれたら逃げます。。
いや、ほんとに…(;´Д`)
この中に入ったが最後、米軍の船に突っ込んで確実な死を向かえるわけです。
国のためにといって、死ぬ覚悟なんて出来ないです。
ぼんやりとした気持ちで出口へ。
売店に「必勝」と書いた白地のTシャツがありました。微妙すぎますw
海軍さんのカレーが美味しそうでした。本棚には靖國論ももちろん並んでおります。
日本海と言うおしるこがちょっと気になりましたw
お饅頭くらいの大きさで、お湯を注ぐとおしるこになるようですねー。
そんな感じで遊就館を出て、境内で白いポッポーを発見、激写。
前エントリーの鳩さんは靖國神社で撮ったものでした(・∀・)b
神社を出て、靖国通りにそって御茶ノ水方面へ!
逆光で何も見えませぬw
更にまっすぐ歩くと、屋台やら骨董市をやっていました。
もっとまっすぐ行くと、拝殿ですね。↓コレ
で、本日のお目当ては何かと言いますと、遊就館です。
拝殿からむかって右側にあります。売店や、喫茶店のあるところはタダで入れます。
入館料は学生500円、特設の日露戦争100年展は300円です。
日露のほうは今日は見ませんでした。
館内は明治維新から始まって、大東亜戦争(第二次世界大戦)までの展示がされています。
最後に、戦没者の御遺影が「靖國の神々」としてずらっと展示されています。
正直言って、日露戦争までは流す程度にしか見ていなかったりします。
恥ずかしい事に、中学の歴史はすっかり忘れ、高校は辞めてしまっている為
授業を受けた事がなく、大検では範囲を絞って飛び飛びでしか勉強をしていないので
日本史が全くわからないのです。展示を見ても全くピンとこない。
自分の無知具合にがっくりしました。
5年前にやった「日清焼きそば焼くよ(日清戦争1894年)」という暗記の無意味さがよくわかります。
この館の中で、もっとも長い展示はやはり大東亜戦争。
時系列毎に日本の状況が追えます。
「奇襲攻撃成功セリ(トラ・トラ・トラ)」の電報の現物が置いてありました。
ニイタカヤマノボレのほうも展示してあります。
あとは、東京裁判のパール判事の日本無罪論ですかね。
広島高裁での講演の言葉が展示されています。
こちらのサイトの「東京裁判判決にむける言葉」です。
日本史嫌いの自分ですから、知っている知識と言えば
12/8真珠湾→8月原爆広島・長崎→8/15終戦くらいなもんで、、
展示を見ながら、歴史に「〜すべきだったのに」はありえないと思いながらも、
厳しい条件だけどハル・ノートを受諾していれば…とか
ポツダム宣言を早々に受諾していれば原爆は免れたのになどと思ってしまいました。
最後の展示の御遺影には出身地と亡くなった場所、亡くなった日が書かれているのですが
昭和20年の7月に亡くなっている方が結構いて、「あと1ヶ月もてば生きていられたかもしれない」
と、更に悔やんでも仕方ない事を考えてみたり。
その1ヶ月持ちこたえるのが、当時の状況では大変だったのだとは思いますが…。
終戦後も法務死(戦犯として処刑)された方もいるので、戦争が終わったからと言って
直ちに犠牲になる方が減ったわけでもないですね。。(´・ω・`)
御国のためにと亡くなって行った方々なわけですから
「ああすれば」「こうすれば」なんて言う前に、感謝をしなければいけないですね。
御遺影展示の最後の場所に、記帳用のノートが置いてあります。
過去の記帳の抜粋も、いくつか展示されています。
「ひこうきがいっぱいでこわかった」と書いている小学生や、
「最近、父が祀られている事を知った。毎年参ります」という方などなど。
そう言えば、来館者の中で戦争経験者の方がいました。
展示を見ながら、家族に「やぁ、見ると思い出すねえ」「この人は知っている」
などと喋っていました。台湾まで行くのに、船で七日くらいかかったとも言ってました。
最後に、人間魚雷「回天」が展示してありました。
零戦などもありましたが、なによりインパクトが強かったのがコレ。
あまり天井が高くなく、見た目は本当に魚雷です。
(とは言っても、本物の魚雷は見たことないですけどw)
この狭い魚雷の中に入って、特攻しろなんていわれたら逃げます。。
いや、ほんとに…(;´Д`)
この中に入ったが最後、米軍の船に突っ込んで確実な死を向かえるわけです。
国のためにといって、死ぬ覚悟なんて出来ないです。
ぼんやりとした気持ちで出口へ。
売店に「必勝」と書いた白地のTシャツがありました。微妙すぎますw
海軍さんのカレーが美味しそうでした。本棚には靖國論ももちろん並んでおります。
日本海と言うおしるこがちょっと気になりましたw
お饅頭くらいの大きさで、お湯を注ぐとおしるこになるようですねー。
そんな感じで遊就館を出て、境内で白いポッポーを発見、激写。
前エントリーの鳩さんは靖國神社で撮ったものでした(・∀・)b
神社を出て、靖国通りにそって御茶ノ水方面へ!
Comments