幼稚園がキライなのかどうも馴染まず、年少の頃は近所のお絵かき教室へ通わせる。
幼稚園は年中組みから入学するが、どうもダンスが嫌いらしい。
写真キライはこの頃から。
中学受験を視野に、小学3年から塾へ通わせる。当の本人は受験など意識はしていない。
なんとなく選んだ第一志望は落ち、地元の滑り止めのはずだった私立すら
補欠合格という状況。滑り止めすら滑りそうになるとは!
例年、不合格者も繰り上がり合格するところだったので、無事に入学。
小学生の頃とは相反し、成績は芳しくない。
当たり前だ、小学校の成績上位層が標準になっているのだから。
何とか高校へ進学するも、内部選抜クラスからは漏れる。
1学期はほぼ中学3年の復習だったので好成績だったが、半年後に中途退学。
3日で何もない生活に耐えられなくなった長女は、大検予備校に行きたいと言い出す。
望みどおりに通わせる。学費は…決して安くはなかった。
大検取得後、娘に対し大手予備校への進学を勧めるが、頑として聞かない。
望みどおり、同予備校の大学受験科へ通わせる。コストパフォーマンスは最悪。
数ヶ月、自主学習にするが、成績は伸びない。
専修大センター、中央、明治、早稲田全落ち。
1浪は想定の範囲内であったのだろうか、本人の望むようにZ会を取る。
昼夜逆転して、あまり勉強はしていないようだ。
2学期から、代ゼミの単価講座を取り始める。…受講講座数は…たくさん。
日大・中央・明治・早稲田…日大が第2志望の学科ですべりどまる。
日大に入学金を支払ったものの、進学拒否。代ゼミの本科で2浪をする。
本科生なのにもかかわらず、単科講座を3つ取る。
夏期講習・冬期講習もかなり取った。冬の間は勉強をしていたのだろうか?
例年のように、早大受験だけは長丁場なのでホテル滞在。
日大、法政、中央、明治×2、早稲田×6…合計11回受けた。
なんとか、第一志望校に受かる。第一志望学部こそ落ちてしまったが、
三度目の挑戦。そんなのもうどうでもいい。
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そしてまぁ、今に至るわけで。えーと…とりあえず母親の今までの人生のうち
23年はこんな子供を育てることに使われたわけです。
育ててもらった自分が言うのもなんですが、非常に申し訳ない。
23年、こんな子供になってごめんなさいと言うほかない。
いくら投資してもらったんだろう。金銭的なこともそうですが、なにより
戻せない時間がある。23年分。特に後半10年は不幸だったろうと思う。
本当に不幸かどうかは、価値判断の問題なので本人に聞かないと分かりませんが
少なくとも娘の自分から見たら、幸せだとは言えないと思う。
自分が出来る恩返しは、きちんと4年で大学を出て、
少なくともそれなりに名の知れた会社に入って、これ以上の苦労と心配をかけないことだと思う。
パートをしないで済むようになるのは…ちょっと無理かもしれないけれど…。
出来れば3ヶ月に1回くらい旅行でゆっくりしてほしい、贅沢な外食もして欲しい。
「失敗作」の自分だけど、甘ったれたことばかり言っている場合じゃないや…。
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